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September 2004の記事

September 28, 2004

SESSION #036 「2時間49分のラストゲーム」

036.jpg今年6月に端を発した近鉄とオリックスとの合併問題。

なにもかもがすっきりしないまま結局9月27日に両チームによる最終戦が行われました。 自分はたまたま仕事が休みだったこともありYahoo BBスタジアムへと乗り込みこの2球団の最後をしっかりと見届けることに。

ボクの住む名古屋ではパリーグ文化はほとんど無いとは言われていますが、近鉄はかつてナゴヤ球場で主催試合を毎年行っていたし、オリックスもイチローの登場後はナゴヤドームでのゲームを毎年行っていて、どちらも何度となく観戦に出かけたこともあり愛着のあった2チーム。 その2チームが同時に消滅するというんですからこれはもうなんと言うべきか。

オリックスの球団経営側からすればあくまで合併であり、来年度も「オリックス」という球団は存在するというのが言い分なんでしょう。 試合後のセレモニーでも合併の報告は一言もなく、伊原監督の挨拶も球団社長の挨拶も無い。 そしてただ「来期もオリックスブルーウェーブをよろしくお願いします」との場内アナウンスが繰り返されるだけ。

けれどもファンからしてみれば近鉄という球団は消滅するのであり、かつてのブレーブスを継いで14年間やってきたプルーウェーブという名前も消えるというのが突き出された最終的な結論。 この日スタジアムに集まったファンや最後の一戦に全力を尽くした選手、それに対する主催者との温度の差をまざまざと感じざるをえないそんなラストゲームでした。 ブルーウェーブのファンも、近鉄のファンも来年はどんな気持ちで、どこの球団を応援しているんでしょう?

サブマリンの山田、MAX130キロのエース星野伸、世界の足・福本、三冠王ブーマーを擁し黄金期を築き、イチロー・田口・長谷川ら、のちのメジャー選手が再び黄金期を作ったブルーウェーブ。 ブライアント、大石、オグリビー、金村から中村紀、ローズまで、いつの時代も当たりだすと「いてまえ打線」という言葉のとおり本当に脅威だった近鉄。

他にも石嶺とか阿波野とか野茂とか松永とか、どっちの球団にも好きな選手いたっけ。 門田がブレーブスにいたこともあったし、あとは吉井なんか両方のチームにいたんだよなぁ。 思い出してみると何もかもが懐かしい。

何十年か経った後、かつてこの国のプロ野球に「近鉄」と「ブルーウェーブ・ブレーブス」という球団があったんだぞってことを語れるように。 この日のスタジアムの空気を、この両チーム選手たちを、そして彼らによる最後のゲームとなった2時間49分をしっかりと自分の目に耳に脳裏に焼付け、球場をあとにしました。

来年も、再来年も、その後もずっと、プロ野球が選手にとってもファンにとっても楽しいものであることを祈ります。

(写真:試合終了後のスコアボード。7-2でオリックスが有終を飾る)

September 26, 2004

SESSION #035 「天才クイズ」

東海地方の出身者なら一度くらいはきっと見たことがあると思われる、CBCテレビの「天才クイズ」。 昭和42年に放送を開始し現在日本で最長寿のクイズ番組となったこのおなじみの番組が9月25日に最終回をむかえました。

参加者は視聴者、しかも小学生ということで地元では世代に関係なく根強い人気を誇り、ボクのまわりにも出演経験がある人も多数いるというこの伝統のクイズ番組。 しかしながら近年の少子化の流れには逆らえず、昔ながらのボーイズ対ガールズというスタイルを数年前より小学校対抗のチーム戦に変更するなどしていました。 もう何年もこの番組を見ていないという人も多いと思いますが、近年はバラエティ色がかなり強くなり、内容も手を変え品を変えという具合になってきていたんです。

どうも悪い方向にむかっているような気がしていたのですが、番組終了にあたって製作側から出たコメントに「視聴率低迷」って言葉があるのをみて「やっぱり」という気持ちにもなりました。 バラエティ番組というのをあまり好まないボクにとっては残念とも思えるこの一連の結末にガッカリしています。 伝統の番組っていうものは変えてもいい部分と変えてはいけない部分の手の入れ方こそが難しいもの。 結果的に「天才クイズ」はその「手の入れ方」に失敗しちゃったわけだったんですね。

そういえばボクが小学生だったの頃、土曜日の夕方といえば必ず見ていたのがこの「天才クイズ」と中京テレビの「お笑いマンガ道場」でした。 「お笑いマンガ道場」のほうは全国に放映されていたようで知名度は高かったのですがたしか1994年ごろに終了になったはず。 あれもいい番組でしたよね。 その「お笑いマンガ道場」のレギュラーだった漫画家の鈴木義司さんも今年の7月になくなりました。

ボクの小学生の頃の名残がわずかながらもテレビの中に残っていたのに、それも最近はどんどんと消えていってしまいます。 これも時代の流れといわれればしょうがないのだけども、それだけに週刊誌やタウン情報誌などで近年よく見かける「昭和レトロ」のブームという言葉にはいささか胡散臭さを感じちゃいますね。 本当に昭和から残っているものや、今後も残してほしい昭和のものってのは何なのだろうかと。

「昔は良かった」、なんて言葉が出るようになったらそれは年寄りの仲間入りになる頃。 そろそろボクもどうやら年寄りの仲間入りのようです。

September 08, 2004

SESSION #034 「同郷の士」

今から十数年前のこと。 ちょうどボクの住む家の近所から次々と高校野球界を代表するような選手が登場した時期がありました。

ひとりはボクと同じ町内に住む稲葉篤紀。 名門・中京高校で活躍するものの県大会の決勝で敗れ甲子園には一度も出場する事はできなかったのでしたが、その後は法政大学からヤクルトスワローズに入団し2001年にはベストナインを獲得、去年はサイクル安打を達成と説明の必要が無いくらいのプロ野球選手として現在も活躍中。

その稲葉を愛知県大会で敗り甲子園に出場したのは愛工大名電。 その時、名電の二年生でレフトを守っていたのがとなり町に住む鈴木一朗。 彼は次の年の春に今度は投手として甲子園に出場するもののどちらも初戦で敗退だったわけですが、卒業後はオリックスに入団。 その3年後、登録名をイチローとした彼は日本のプロ野球界にものすごい旋風を巻き起こし、今や世界を代表するスポーツ選手となってしまいました。

そしてもうひとり。 そのイチローが高校三年生だった1991年の夏の愛知県大会の決勝、イチロー率いる名電を猛打で圧倒した東邦高校の四番を打っていたのがボクと同じ町に住む林尚克という選手でした。 スラッガーとしてはそんなに大きくない体だったんですが、すごく綺麗なバッティングフォームの持ち主で、その年の春の甲子園で満塁ホームランを打ったのを今でもしっかりと覚えています。

この三選手の中でプロ野球に行っていちばん活躍するだろうとボクが予想していたのは東邦の林選手でした。 しかしその後、稲葉とイチローの活躍はテレビでも新聞でも見ることができたのですが、肝心の林はプロ入りしたという話すらまったく聞こえてくることはなかったです。

それから数年後、大学生になったボクは社会人野球の都市対抗戦の応援団でラッパを吹くというアルバイト(?)をしていたのですが、そこでかの林尚克選手を見ることができました。 新日鉄名古屋というチームでやはりそこでも任されていたのは四番打者という役割。 プロ野球に比べれば遥かに地味で注目される事の少ないアマチュア野球の世界だったとはいえ、かつての郷土の英雄がいまもこうして四番打者を務めているという事実になんだかちょっと嬉しかった瞬間でした。

そしてさらに話は進んで一昨日のこと。 東京ドームで行われた社会人野球・都市対抗、愛知県代表の王子製紙・春日井とホンダ・狭山で行われた決勝戦。 試合はもつれにもつれ5-5のスコアで延長戦に。 延長10回の一死、王子製紙に劇的なサヨナラホームランが飛び出しました。 なにか見覚えのあるような綺麗な弾道でライトスタンドに消えていったその打球を放ったのは、かつてイチローや稲葉のライバルであったあの林尚克選手。

何年ぶりかに聞いたその名前、何年ぶりかに見たそのバッティングフォーム。 それはまぎれもなく13年前の甲子園で満塁ホームランを打ったあの同郷の天才打者に間違いなかったです。 メジャーリーグでもプロ野球でもない場所であってもしっかりと活躍し続ける姿。 次の日の朝、読んだ新聞のスポーツ欄にはその林尚克選手の写真がカラーで大きく掲載されていました。 メジャーで活躍を続けるイチロー選手の記事よりも大きく。

同じ地元の出身であり、同じく野球をやるボクはというと相変わらず草野球と呼ぶのにも苦笑してしまうレベル。 イチローにも稲葉にも、そして林にもだいぶ差をつけられてしまいました。 そりゃあ、彼らが甲子園を目指して毎日練習していたその頃のボクは、毎日ファミコンの練習に明け暮れていたいたんだもんなぁ。 もしボクも幼少の頃から野球をやっていて、もし彼らと同じチームで野球をし、あるいは他のチームに所属し彼らと対戦したりしていれば自分もいまごろは・・・・いや、そんな無駄な「もしも」を考えるのはやめるとしましょう。

September 04, 2004

SESSION #033 「気分も一新し、」

いきなりですが、この「日々の考察」のコーナーのデザインを一新しました。
新学期も始まったことだし気分も一新しているつもりです。

ちょっと前から"ブログ"を使ったホームページをあちらこちらで見かけることが多くなって少し気になってました。 ブログとはネット上の簡単なシステムを使ってホームページを作るシステムなんですが、それほど大がかりなページを作るのでなければ簡単に作成でき、手軽に更新できるのが魅力です。 個人で開設しているホームページの多くは日記やらニュースやらのサイトが多く、そういった文章中心で更新が頻繁なサイトを作るにはこのブログを使うとえらい楽にすませることができるわけなんです。

もともとボクもこの「日々の考察」のページを作成する際にどこかのブログのデザインやレイアウトを基にして作ったんでしたが、よくよく考えてみればデザインをマネするくらいなら初めっからブログを使ってページを作ればよかったんですね。 ようやくそのことに気付いたので、今回からはこのページもブログを使ってのページに変更する事にしました。 更新するのもそのほうが楽になりますし。 しかしながら更新するペースはたぶん今までとあんまり変らないとは思いますが。

なんとなく、ちょっとでもデザインが変れば気分も一新できるような気がするのです。 手軽にページのデザインを変更できるのもブログの特徴のひとつですしね。

そういえば、先日ここを見ている知人から、
「『日々の考察』ってあんまり『考察』」してませんね」
と言われてしまいました。 また別の知人からは、
「『日々の考察」』ってタイトルのわりに月イチくらいしか考察しないですね」
とも言われてしまいました。

どちらもそのとおりです。 もともとネット上で日記を書くという気はまったく無く、けれど、それとない日常生活での出来事を文章にしておこうと思って作ったのがこの「日々の考察」のページであり、そのタイトルも深く考えたわけでは無くなんとなくで付けたものだったので、けっきょく内容と多少のズレがおきてしまったわけです。

けれど、今さら表題を変えるのも面倒くさいし、かといって本当に毎日なにかを考察するってのはもっと面倒くさいので当分のあいだは今までどおりのスタンスで続けていきます。 更新も月イチかもしれないし、週イチかもしれないし、気分だけは一新しつつもとにかく気まぐれで。

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